ロードバイク趣味を始めて早九年。今年の秋で十年を迎えます。
つくづく、自転車趣味って「家族の理解」によって支えられるものだよなー、と感じる中年の悲哀を綴ってみました。
世の全ての中年ローディーに捧ぐ。
おじさんローディー、家族に刺されるの巻
最近、家の中でいちばん冷たい風を感じるのは、冬の北風ではなく、娘の「また自転車?」というひと言。
いや、たしかに“また”かもしれない。が、ロードバイクとは基本的に“また”乗るものなのだ。
問題は、その「また」に含まれた軽いため息が、どんなアスファルトより心にダメージを与えることだ。
我が家の奥様も負けていない。
「そのホイール、この前のと何が違うの?」
と聞かれる。説明しようとすればするほど、墓穴が深くなる。
「風の抵抗を減らすために…」などと言っても、「つまり速くもならないけど高いってことね」と斬られる。
ぐうの音も出ない。ぐうと言ったら最後、「じゃあそのぐう分、家事手伝える?」と聞かれそうだから。
そして着替えの時。
ピチッとしたサイクルジャージを着ると、娘が言う。
「パパ、それ、タイツなの?コスプレなの?」
違う、これは戦闘服だ。
ただし、戦うのは坂道でもライバルでもなく、拡張し始めた自分の腹部だ。
どうしても戦況が厳しいが、撤退は許されない。戦い続ける為には走り続ける必要があるのだが、そこがなかなか娘には伝わらない。
週末の朝、鏡を見てヘルメットを被る。
我ながら、少し未来感のある姿だ。
「ヒーローっぽい」と錯覚した瞬間、妻の声が背後から飛んでくる。
「そこにいるヒーローさん、食器は洗ってから出撃してね。」
我が家では、出動許可権は常に妻にある。
帰ってくると太ももはパンパン、心はそこそこ満たされている。
だが玄関で娘が首をかしげながら言う。
「ねえパパ、そんなに疲れてるのに、なんで楽しいの?」
反論しようとしたけれど、うまく言葉が出なかった。
たぶん、その“わからなさ”こそがローディーへの入会資格なのだろう。
週末に走らない日は、日がな一日ディスプレイの前に座ってはあれこれとロードバイク関連製品の情報を漁りまくり。
「それ、買うの?」
「あー、まだ発表されたばかりだし、日本だとまだ買えないかなー」
「買えないものなのに、調べてるの?」
「・・・。しばらくしたら、日本でも取り扱いが始まる可能性があるしね」
「買えるか分からないのに、調べてるんだ」
なかなか知的好奇心を満たすことの重要性というものも、伝わりにくいものがあるようで。
そんな荒波に揉まれながらも、またライドに出かけてしまう魅力が、自転車にはある。
確かにある。
そう信じて自転車ライフを続けるのであった。


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